@ 関空から直行便にてエジプト「ルクソール」へ  
     
A 過密スケジュールのルクソール観光  
     
B ハトホル神殿とナイルに浮かぶ高級リゾート  
     
C イシス神殿と砂漠の蜃気楼  
     
D アブシンベル神殿の音と光の幻想ショー  
     
E エジプト国鉄の寝台列車「アベラ」に乗ってギザへ  
     
F 幻滅のアレキサンドリア  
     
G ギザの3大ピラミッドとスフィンクス  
     
H 一般情報  
     
  旅行時期: 2010年2月12日〜2010年2月19日
為替レート: 1エジプト・ポンド=15円、
        1アメリカ・ドル=90円
(エジプトではアメリカ・ドルが普通に使える)
 
@ 関空から直行便にてエジプト「ルクソール」へ
  2010年の2月、関空発ルックJTBのツアー「エジプト・クレオパトラ紀行8」に夫婦で参加してきた。紀元前3000年に遡る古代遺跡の巨大さに圧倒され、砂漠の蜃気楼や暑さに驚き、外国人用の高級ホテルで快適に宿泊。そして、後進国エジプトの貧困も垣間見え、映像だけでは分からないエジプトの姿が実感できた。旅の醍醐味である。旅行代金は1人219000円(燃油サーチャージ代込み)、これに、国内・海外空港税約1万円、エジプトビザ代15ドルを加えて、合計約23万円。

2月12日14時10分、関空発ルクソール行きエジプト航空(写真1)に搭乗する。機種はエアバス340。エコノミーの座席配置(写真2)は横2-4-2の8席で、運良く妻と2人で窓側席に座る。さて、お楽しみの機内食(ランチ)は2種類からの選択で、私は牛肉(写真3)、妻は魚(写真4)を選択する。両者ともまずまずの味で、二人ともエジプト航空の食事に合格点をつける。ただし、エジプト・ルクソールまで14時間のロングフライトはきつい。飛行機が古く個人用モニターテレビがないのも問題である。

フライトの真ん中くらいで「おにぎり」と飲み物のサービスがあり、到着2時間前くらいに、2回目の食事(ディナー)がはじまった。何と和食2種類からの選択で妻は牛丼(写真5)を選択。私は天丼(写真6)を選択。妻と半分づつ分けて両方食べる。うまい!ソーメンも和菓子もGood。すべて完食する。エジプト航空の機内食なかなかやるね〜。

現地時間の夜10時過ぎにルクソールのホテルに到着。客室はナイル川に面しており、バルコニーに出てみるとライトアップされた夜景が綺麗に見える。ロングフライトの疲れがあり、シャワーを浴びてすぐにベッドに入る。お休みなさい。

目覚めの朝、宿泊のホテル「イベロテル・ルクソール」(写真7)が朝日に輝いている。バルコニーに出てみると目の前にナイル川が見える。ひんやりした風が頬をよぎり心地良い。早速、ホテルのガーデン(写真8)を散歩する。長袖に薄手のジャケットを羽織ってちょうどいい気候である。夏の蓼科や軽井沢の朝みたいにすがすがしい気候にうれしくなる。

ガーデンプールとナイル川(写真9)、ゆっくり就航するクルーズ船、そして、ルクソール西岸の上を気球が浮かぶ。静かに流れるナイル川の美しい風景(写真10)を前にして、はるばるエジプトまで来た甲斐があったと実感する。

朝食はビュッフェで種類も多い。適当に取り寄せて自分の朝食メニュー(写真11)を作る。味もGood。朝食ながら何種類ものスイーツ系のパンがそろっており、デザートをかねてパンとコーヒーで朝食を終了する。ホテルの朝食も合格!

 
     
A 過密スケジュールのルクソール観光
  朝8時に大型バスでホテルを出発し、ルクソール西岸観光に出かける。途中、広大な畑を横切って行く。雨がほとんど降らない土地でもナイル川の灌漑用水が植物を育てている。

ルクソール西岸観光のトップバッターは巨大な1対の座像「メムノンの巨像」(写真12)。実に大きい。高さは20mもあり、砂岩の一塊りをブロックに切り取って作られている。メムノンの巨像は新王国時代絶頂の王「アメンホテプ3世」のもので、もともとは座像の後ろに彼の葬祭殿があったという。しかし、その後、完全に破壊され巨像のみ残った。

次に、ルクソール西岸の最大の観光名所「ハトシェプスト女王葬祭殿」(写真13)に行く。建物の背後にある巨大な岩山が迫ってくる。葬祭殿(写真14)に近づくと3層になった柱廊が綺麗に見える。見事な建築美である。広い第1テラスを通って階段を上がり、第2テラス(写真15)に上がってみると、ここも広々としている。

第2柱廊の左側にある列柱室(写真16)に行く。ここはハトホル女神礼拝所の一部で、列柱室の柱の上部はハトホル神の顔を表している。第2柱廊の右側には美しい彩色壁画(写真17)が残っている。ハトシェプストは紀元前1500年頃、エジプト初の女王として即位し、戦争ではなく通商に力を注いだ。

第2テラスから階段を上がって第3テラスに着くと、ハトシェプストの顔をしたオシリス神像(写真18)が出迎えてくれる。しかし、残念ながら多くは破壊され数体しか残っていない。そして、狭い第3テラスの奥に「岩窟至聖所」がある。ほとんど意味はないが、至聖所の前で合掌する。

それにしても暑い!日本の真夏と同じ気温になってきた。汗をかきかき、王家の谷(写真19)に行く。ここで、3カ所の墓を見学する。ツタンカーメンの墓の中に、ツタンカーメンの本物のミイラが置かれている。これは必見。午前中にルクソール西岸観光を済ませ、ナイル川を渡って東岸にもどってくる。

ランチの後、すぐにカルナック神殿の中のアムン大神殿に行く。時差ぼけがまだ完全には解消されておらず疲れが出てくる。そこに、午後の太陽が強烈に降り注ぐ。やばい、頭痛になりそう…。

スフィンクス参道(写真20)から第1塔門を入って中庭に来ると、巨像2体と、第2塔門(写真21)がそびえ立つ。2つの巨像は「ラムセス2世の巨像」と「ピヌジェムの巨像」である。

第2塔門と第3塔門との間にある「大列柱室」(写真22)に圧倒される。何という大きな柱なのか〜。この列柱室の幅は102m、奥行きは52m、柱の高さは23m。円柱の頭にはパピルスの装飾があり、円周は15mもある。1つの円柱の頭に50人が乗れるという。そんな巨大な円柱が大列柱室には134本もそびえ立っている。狂気……。
第3塔門を越えると、天高く「トトメス1世のオベリスク」(写真23)が、その背後に「ハトシェプスト女王のオベリスク」がそびえる。そして、第5塔門を越えると、神殿の核心部である「至聖所」(写真24)に至る。最後は「聖なる池」(写真25)まで行って再び神殿内を時間まで見学する。恐るべき巨大神殿「カルナック」、歴代の王たちの富と権力は見事に誇示されている。ここまで巨大だとは思わなかった。

カルナック神殿見学のあと、ルクソール神殿見学に行く。ルクソール神殿第1塔門(写真26)は実に見事な出来栄えである。巨大なラムセス2世の1対の座像が鎮座し、ラムセス2世のオベリスクが高くそびえる。オベリスクの高さは25mもある。数字だけではピンとこないが、目の前で見上げるとその巨大さが分かる。本来ここには2本のオベリスクがあったが、もう1つは1833年にフランスに持ち去られ1836年にパリのコンコルド広場に立てられた。

第1塔門を過ぎるとラムセス2世の中庭になり、その一角にラムセス2世の立像(写真27)がたくさんある。保存状態が非常にいい。太陽が西に傾き神殿が夕陽に輝き出す。第2塔門からはじまる「列柱廊」(写真28)がピンクに染まる。そして、太陽が沈むにつれて、神殿がライトアップされ神秘的な雰囲気になってくる。いい感じ……。広々とした「アメンホテプ3世の中庭」(写真29)を通る。

ルクソールの夜は涼しく神殿はライトアップされるので、夜になっても続々と観光客が押し寄せてくる。ラムセス2世像(写真30)が赤いライトで浮かび上がってくる。スフィンクス参道(写真31)もライトアップされ古代王宮への入り口の雰囲気満点である。かって、ルクソール神殿からカルナック神殿まではスフィンクス参道によってつながっていたという。エジプト考古学最高評議会は全長2700mの古代遺跡、スフィンクス参道を再建し、ルクソール全体を「屋外博物館」とする構想を発表した。(2010/02/08)

ライトアップされた「ルクソール神殿第1塔門全景」(写真32)の美しさに言葉を失う。この中庭(ネクタネポ1世の中庭)に特設ステージを作って、オペラ「アイーダ」を上演したら最高であろう。
それにしても、カイロやギザから遙か遠い南にあるナイル川中流域のルクソールになぜこのような巨大神殿が残っているのか?ルクソールはかってはテーベと呼ばれ何世紀にも渡ってエジプト帝国の首都として繁栄を極めたという。そして、ルクソール神殿はアメンホテプ2世により着工され、トトメス3世の手を経て、ラムセス2世によって完成された。エジプト新王朝時代(紀元前1300年代)のことである。

「メムノンの巨像」「ハトシェプスト女王葬祭殿」「王家の谷」「カルナック神殿」「ルクソール神殿」、今日、観光した場所だけでも相当な遺跡群である。エジプト古代遺跡のスケールの大きさ、技術の高さに想いを巡らす。しかし、過密スケジュールのルクソール観光にほとほと疲れた〜。早めに寝る。

 
     
B ハトホル神殿とナイルに浮かぶ高級リゾート
  翌日は朝8時にホテルを出発し、ルクソールの北方約80Kmにある「デンデラ」に行く。ナイル川中流域は灌漑用水が引かれ、のどかな田園風景が広がる。デンデラの「ハトホル神殿」(写真33)には、珍しいクレオパトラのレリーフが残っている。ルクソールに比べるとマイナーな遺跡らしく、観光客が少ない。ハトホル神殿は、エジプトがローマの支配となる前の古代エジプト最後の神殿である。

神殿内部に入ると、いきなり巨大な「大列柱室」(写真34)になる。高さ18mの柱(ハトホル柱)が全部で24本もあり、なかなか壮観な眺め……。ハトホル神は愛と豊作の女神で、柱の上部にはハトホル神(写真35)の顔が彫刻されている。エジプトのハトホルがギリシャ神話ではアフロディテになり、ローマ神話ではヴィーナスになる。
大列柱室の壁や天井には、びっしりと文字や壁画が描かれている。天井にある太陽航行の図(写真36)は色も鮮やかに残っている。神殿の最も聖なる場所「至聖所」に入る。外は暑くてもここはひんやりして気持ちいい。どの世界でも一番偉い人は一番快適な部屋に住んでいる。

ハトホル神殿の南側外壁(写真37)にはクレオパトラ(左)とカエサル(右)そして足下に子供のカエサリオンが描かれている。クレオパトラがこの地にはじめて来てハトホルのことを聞き、彼女は大きな神殿を作ろうとした。クレオパトラの意図は「カエサリオンを王位につけることをきちっと神殿の壁面にレリーフとして書き残しておくためだった」と言われている。母親の執念!

実はクレオパトラは普段、王宮にいる時、自分のことを『イシス』と呼ばせていたという。イシスとハトホルは、「美しくて賢い」、「美しくて優しい」という女性の二面性を持っていて、この2人の女神が一体になると理想的な女性になる。そしてクレオパトラは、両方が一体となるような人物になりたいし、自分をそうであると思っていた。「美しくて、賢くて、優しい女性」が目の前に現れれたら……。ローマ皇帝シーザーもアントニウスも彼女に魅了されてしまった。

愛と美貌と野望のクレオパトラ紀行は続く。デンデラのハトホル神殿見学の後、ルクソールに帰ってきてランチを取る。メイン料理は「シシカバブ(肉の串焼き)」(写真38)で、うまい。エジプト料理に今のところ外れなし。

ランチのあとはナイル川に沿って約280Km南下し、アスワンに行く。バスの座席は狭く、道路の路面が荒れているせいか振動も大きい。少々苦痛を感じながらアスワンまでのロングドライブを我慢する。さらに、道路沿いの建物はみすぼらしく廃屋に近い家も沢山ある。近代的な綺麗なビルは少なくエジプトの貧困を見せつけられた思いである。

アスワンに着くともう夜になっていた。幸い高級ホテル(写真39)のレストランが本日の夕食会場になっていたので期待を持って入店する。夕食はビュッフェなので、まずは、パン、スープ、サラダ等の前菜(写真40)から……。お次は肉と魚を少量ずつ取り分けてメイン料理(写真41)を作り、そして、最後にデザートの数々……。大変満足いく食事であった。今回のツアーの料理はVery Good.

夕食の後は、大型フェリーに乗って今夜のホテルに向かう。アスワンの街の灯が川辺に写って美しい。暑さも収まり涼しい風が吹いてきて快適なクルージングになる。15分ほどで「ピラミサ・イシス・アイランド・ホテル」に着く。

ナイル川に浮かぶ小さな島全体が1つのホテルになっており、アスワンでは最高級(5星)のホテルという。期待どうり客室(写真42)は上品なヨーロピアンスタイルで非常にいい。この日も疲れているので、シャワーを浴びて早めに寝る。

目覚めの朝!エジプトは雨が降らず毎日快晴でうれしくなる。早起きしてホテル周辺(写真43)を散歩する。ここはナイルに浮かぶ小さな島、目の前にナイル川(写真44)が滔々と流れる。ここまでくると水が結構綺麗である。

吹き抜けのホテル・ロビーにもどって、朝食レストラン(写真45)に行く。レストランは広くてしかも気品がある。朝の光を感じながら優雅な朝食の開始である。ビュッフェカウンターから適当にピックアップして本日の朝食メニュー(写真46)を作る。気分も盛り上がっているせいか、実にうまい。やはり、高級ホテルのダイニングルームでの朝食は気分がいい。妻と二人でゆっくり食事をする。

出発までに少々時間があったので、カメラを持ってホテル内を一周してみた。まずは、ナイル川に張り出した展望テラス席(写真47)が素晴らしい。ナイル川の流れを前にして、モデルになった妻はつぶやく。「私とクレオパトラ、どちらが素敵?」「‥‥」沈黙の私。

ナイル川に沿った散歩道から少し上った丘の上に素晴らしいガーデンプール(写真48)を見つけた。朝早いので、まだお客は誰もいない。風も音もない静寂、エジプトの強烈な太陽光線がプールに射し込む。
プールは何カ所もあり、高台のレストラン(写真49)からのプールやナイル川の眺めも素晴らしい。こんな高級リゾートホテルなら是非ロングステイしてみたいものである。

参考までに帰国後ネットで3月上旬の宿泊料金を調べてみたら、1泊1室(ツインルーム:2名の朝食付き)の値段が1万円程度だった。夕食は150エジプトポンド(約2250円、1ポンド=15円換算)なので、1人1泊2食8000円程度でナイル川に浮かぶ高級リゾート「ピラミサ・イシス・アイランド・ホテル」に宿泊できる。

 
     
C イシス神殿と砂漠の蜃気楼
  早くもツアー4日目に入る。今日は、フィラエ島に浮かぶイシス神殿を見学した後、砂漠を突っ切って、一路、アブシンベルに行く。
快適なリゾートホテル「ピラミサ・イシス・アイランド」(写真50)を後にして、朝のクルージングを楽しむ。

ナイル川は極めてゆっくり流れ、船の揺れはほとんど感じられない。朝のさわやかな風を受けながらのリバークルーズ(写真51)は最高である。ツアーの皆さんも満足そうに、周りの風景を楽しんでいる。途中、少年達(父と子?)の小舟(写真52)に出会う。今から仕事に行くのだろか?ナイル川東岸のアスワンの街に近づくと何艘ものクルーズ船(写真53)が停泊しているのが見える。ナイル川クルーズ、いいね〜。次回はこれで決まり?

バスに乗ってイシス神殿へのボート乗り場(写真54)に移動する。ツアーは楽でいい。何も心配しなくても効率よく観光名所に連れて行ってくれる。ボート乗り場周辺には、小舟が無数に停泊しており、その小舟に乗ってフィラエ島に出航する。水上から古代神殿(写真55)にアプローチするのもいい感じである。

フィラエ神殿(イシス神殿)は古来イシス女神を祭っており、エジプト人は皆、一生に一度はこの島に巡礼に訪れる風習があったという。かのクレオパトラとシーザーもハネムーンでここを訪れたという伝説が残っている。イシス神は死後の保護者でもある。我々も遠く日本から死後の安泰を求めてフィラエ島(イシス神殿)に巡礼に来た?

イシス神殿の外庭から見た第1塔門の壁(写真56)には大きなハトホル神やホルス神のレリーフがあり、我々を出迎えてくれる。ここをくぐって前庭に入る。前庭に入ると左に誕生殿、正面に第2塔門(写真57)が見える。さらに奥に進む。第2塔門をくぐると綺麗な柱頭を持つ列柱室(写真58)になる。ここからは天井があるので涼しい。神殿内部の壁には至る所にレリーフ(写真59)が残っている。そして、イシス神殿の核心部たる「至聖所」に続く。

イシス神殿はアスワン・ダムの建設により、半水没状態であったが、上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。世界文化遺産に登録されている。

優美な列柱を今に残す「トラヤヌス帝のキオスク」(写真60)。キオスクとはヨーロッパの駅・公園などで、新聞・雑誌などの売店用の簡易な建物のことである。日本でも主にJRグループ各社の駅構内にある小型売店にキオスクの名前が使われている。

イシス神殿観光の後、日程を一部変更してアスワンの街の南にある「切りかけのオベリスク」を見に行く。ギラギラの太陽が容赦なく照りつけ、自然に汗が出てくる。小高い山を登り、「切りかけのオベリスク」(写真61)の目の前に立つ。この切りかけのオベリスクは長さ42m、重さ1168トンと推定。完成すればエジプト最大となったはずであるが、途中で亀裂が入り中断したという。長大なオベリスクは1個の石から作られている。

古代の石切の方法は「石に切り込みをつけて、そこに木のくさびを打ち込み、くさびを水で濡らす。すると、くさびが膨張し、自然に石が割れる」という。木の文化の日本人からは想像を絶する建築技術である。

日本人の想像を絶する風景に本物の「砂漠」がある。アスワンからアブシンベルまで、バスは3時間ノンストップで疾走する。トイレにご用心!途中休憩なし。

突然現地ガイドさんが言う。「左側に蜃気楼が見えます」。みんな一斉に窓から外を見る。広い範囲にわたって湖が見える!!!!!! 何と湖に島影(写真62)まで映っているではないか。生まれてはじめて見る砂漠の蜃気楼に感激する。

アスワン〜アブシンベル間のバス移動はコンボイ(護送船団)方式で行われている。1日の出発時間が決まっており、乗客の多いバスが先発し、空席の多いバスは後発になる。先の車が故障したら、後の車に乗客を移動させて、砂漠(写真63)を横断するという。それ程砂漠は厳しく危険な所なのであろう。砂漠の中で1本の水路を横断する。ナイル川から引いた灌漑用水(写真64)である。所々に砂漠の緑地化事業がなされている。

ノンストップ3時間のドライブはきつい。やっと本日の宿泊ホテル「セティ・アブシンベル」に着く。まだお昼を食べていない。午後2時過ぎにホテルのレストラン(写真65)でビュッフェのランチになる。

「セティ・アブシンベル」はナセル湖畔のリゾートホテルで、広い敷地に2階建てのコテージ(写真66)がたくさん建っている。昼食後、客室に入る。どんな部屋なのか?期待の一瞬…。客室(写真67)は古代エジプトを連想させるシックな作りでとてもいい。今宵は、クレオパトラとシーザーになって……。ベッドサイドのランプにはラムセス2世の彫り物がある。これもいい。そして、バルコニーに出てみると壮大なナセル湖(写真68)が眺められる。やってくれるね、JTBさん。「ルックJTBお手頃価格の旅」にしてはホテルのグレードは高い。しばらくナセル湖を眺めながら、この景観を楽しむ。

アブシンベル神殿見学まで少し時間があったので、ホテル内を散歩する。ヌビア地方の天然石を積み上げたコテージの外観(写真69)に赤いブーゲンビリアが花を添える。Very Good。ナセル湖を望む古代遺跡?どうやら野外劇場(写真70)の雰囲気である。ここで、満点の星の下、オペラ、ミュージカル、コンサートをすれば素晴らしい。

アブシンベルはエジプト最南端にありスーダンとの国境まであとわずかである。強烈な太陽の光がさらに強くなり、サングラスなしでは耐えられない。光輝くガーデンプール(写真71)の周りをゆっくり散歩する。このプール(写真72)の先はナセル湖と砂漠。見事な風景に感動する。ここで1週間くらい滞在したいものである。参考までに、セティ・アブシンベルの3月の宿泊代金は1泊1室ツイン、2名の朝食付きで18800円〜(アップルワールド)

静かなホテルであるが本日は満室という。しかも、ほとんどが日本人ツアー客で占められている。日本人は忙しい。ガーデンプールで泳ぐ暇もなく、風のように来て風のように去っていく。ホテル側にしてみれば大得意様である。ありがとさん!しかし、世界不況下の現在でもエジプト最南端のアブシンベルまで大挙して訪れる日本人は実に豊かだ。

 
     
D アブシンベル神殿の音と光の幻想ショー
  アブシンベル神殿の夕暮れから夜にかけて行われる「音と光の幻想ショー」、そして、「夜明けのアブシンベル神殿」、これらを見ることが、今回のツアー選択の最大のポイントであった。アブシンベルのホテル宿泊者のみに許される貴重な体験なので、これはお勧めである。

神殿入り口の門を入り、しばらく歩いて行くと、眼前に広大なナセル湖とクルーズ船(写真73)が見えた。素晴らしい光景に感動!ナセル湖はアスワン・ハイ・ダムによって出来た湖で、アブシンベル神殿はダムの湖底に沈む運命にあった。しかし、ユネスコの国際キャンペーンによって救われる。1964年から68年にかけて工事が行われ、神殿は平均重量30トンのブロック1036個に切断され、もとに位置より60m高い岩山にそっくりそのまま移転されたのである。この時以降、世界にある貴重な遺産を後生に残そうという機運が高まり、世界遺産条約が成立した。

アブシンベル神殿(写真74)が近づいてくる。一気に期待が高まる。そして大神殿(写真75)の前に立つ。高さ20m、両耳の間の幅4m、唇の幅1m、巨大なラムセス2世の巨像4体が座っている。
アブシンベル神殿は古代エジプト史上最強の権力者、ラムセス2世の建造で、神殿は彼の絶対的な権力と栄光を誇示している。激しい気性でも有名なラムセス2世に誰も逆らえない。実は、アスワン以南のヌビア地方は金(ゴールド)が採れる。永遠に輝く金はファラオの権威の象徴であり、金が採れるヌビア地方は「俺の物だ!」とラムセス2世は、にらみをきかせているのであろう。

大神殿内部(写真撮影禁止)に入る。大列柱室にあるラムセス2世の8体の柱が見事。周りのレリーフも素晴らしい。側室、前室を通り「至聖所」に行く。ここで、明日の早朝、「太陽の奇跡」が起こる?

大神殿から少し離れた所に「小神殿」(写真76)がある。これはラムセス2世の妃「ネフェルトアリ」の神殿で大神殿に比べると小さいが、正面にラムセス2世の立像4体とネフェルトアリの立像2体が並ぶ姿は素晴らしい。足もとには彼らの子供たちの像も刻まれている。

古代エジプトではこれまで王妃の正面装飾のある神殿は造られてこなかった。よって小神殿は画期的!ラムセス2世のネフェルトアリに対する愛の深さを物語る。しかし、ラムセス2世の子供は100人近くいたというから、おめかけさんも○○人?エジプト人の現地ガイドさんが言っていた。「今でもエジプトでは奥さんは4人まで認められています。僕も第2婦人がほしいのですが、奥さんが嫉妬深くて恐い」と。

陽が西に傾くと、ナセル湖の周囲がピンクに染まり、クルーズ船(写真77)も一層豪華に見える。絶景の場所に座って美しいナセル湖の夕暮れ(写真78)をひたすら眺める。小型ボートが音もなく岸辺から離れていく。夕暮れと共に人々が続々と観客席(写真79)に集まってくる。いよいよこれからアブシンベル神殿名物「音と光のショー」がはじまる。

太陽が沈むと周りはすぐに暗くなり、2つの巨大な岩山(写真80)がライトアップされて特設スクリーンになる。巨大スピーカーからオーケストラの音楽が響き出し、ショーがはじまる。このバックミュージックがなかなかいい。本日のショーの言語は何と「日本語」、これはありがたい。

ショーの中身は「まあまあ」というところか。しかし、満天の星の下、古代エジプトの歴史絵巻をアブシンベル神殿(写真81)の目の前で見るのも悪くはない。驚くべきことは、夜のショーの参加者のほとんどが日本人だったことである。だから、言語は日本語版で上映された。日本人パワー強し!昨今では、欧米の多くの観光地に中国人・韓国人が押し寄せ、日本人の勢いがない。しかし、ここアブシンベルは日本人の天下である。最後の聖域?頑張れ日本人。

次の日は夜明けのアブシンベル神殿観光である。まだ暗い早朝に起きて出発の準備をする。日の出前のアブシンベルは寒い。ジャンバーを着て出かける。

夜明け前の大神殿(写真82)の前に立つ。日の出とともに朝日が神殿の中に射しこみ「太陽の奇跡」が起こるという。今日はその奇跡が見られるだろうか?

ナセル湖の対岸から太陽が昇りはじめた。荘厳な日の出(写真83)。
ちょうどその時、飛行機(写真84)が上空を横切ってきた。夢中でカメラのシャッターを押す。アブシンベル空港発ルクソール行き一番機だろうか?いよいよ太陽が輝き出し周囲も明るくなる。太陽の光がナセル湖に写り美しい風景が展開する。そして、振り返ればアブシンベル大神殿(写真85)が朝日に照らされ、赤く輝いている。

早速、大神殿の中に入る。確かに、太陽光線が神殿の内部にまで入り、そこだけが明るく照らされ幻想的な雰囲気になっている。太陽が昇ると光は神殿の奥へと射しこみ、1年に2回だけ「至聖所」に祭られた像に到達する。そして、その日が「太陽の奇跡」だ。残念ながら、今日(2010年2月16日)の朝日は至聖所の前室の壁でストップしてしまった。あとわずかで至聖所に届くのだが……。

本当の「太陽の奇跡」とは……。毎年2回、2月22日と10月22の日に地平線から太陽が昇った瞬間、その最初の光が大神殿の入口から一直線に差込み、神殿の最も奥の至聖所の祭壇に鎮座する「ラー・ホルアクティ神、ラムセス2世、アムン・ラー神」を照らす。実は,その両日はラムセス2世の誕生日と戴冠式の日という。

興味深いことに、朝の光は至聖所にある像4体のうち、一番左にある「闇の神・プタハ」には決して当たらない。永久に闇のまま。そして、20分後には全ての光は消えて至聖所に再び闇が訪れる。何というドラマティックな演出なのか?

これだけの演出を内包しつつ、巨大な神殿を造り上げた古代エジプト人の芸術性や建築技術の高さに驚くばかりである。参考までに、ラムセス2世の本当の誕生日は2月21日で、オリジナルな神殿での太陽の奇跡はこの日に起こっていた。しかし、神殿の移設によって1日ずれて2月22日になってしまった。(現地ガイドさんの説明)現代の建築技術が古代エジプトの技術に負けた。名残り惜しく朝焼けのアブシンベル神殿(写真86)を後にする。

 
     
E エジプト国鉄の寝台列車「アベラ」に乗ってギザへ
  早朝のアブシンベル神殿観光の後、ホテルでゆっくりビュッフェの朝食(写真87)をとる。今日は遅めにホテルを出発して、再び3時間かけてアスワンまでもどる。

アスワンに着くとランチである。レストランはアスワン市街の中心にあり、ナイル川に面して作られているので美しい風景を見ながら食事が楽しめる。正面にエレファンティネ島の唯一の高級ホテル「メーヴェンピック・リゾート・アスワン」(写真88)が見える。

ランチメニューは、前菜の後、美と健康を保つためにクレオパトラも好んで食べたという「モロヘイヤスープ」を頂く。うまいものではない。メインは「コフタ」(写真89)という料理で、羊の肉を使った細長いミートボール。添乗員さんが気をきかせて、日本の「しょう油」「ポン酢」を持参してきたので、ポン酢をかけて食べたら抜群においしかった。

昼食後、アスワンハイダム(写真90)に行く。ダムの幅3600m、高さ111m。ドイツとソ連の協力により1970年完成。アスワンハイダムによって出来たナセル湖はここから上流に向けて、全長500Kmに及ぶ。湖の面積は琵琶湖の約7.5倍。ただし、大きいだけで感動なし。

その後、土産物屋(パピルス店、ガラス・香水店)に寄り、時間つぶしのためにアスワン市街の高台にある高級ホテル「バスマ・ホテル」で休憩する。バスマホテルの高台からの眺め(写真91)が素晴らしい。川幅の広いナイル川には小島がたくさんあり、その周りをヨットが浮かぶ。夕暮れのアスワンの眺めを堪能する。

今夜は、エジプト国鉄の寝台列車「アベラ」に乗ってギザまで約14時間の長旅である。「アベラ」(写真92)は予想どうり綺麗ではない。重いスーツケースを自分で運び、狭い通路(写真93)を通って自分の客室に行く。

ドアを開けてみると…。狭い!スーツケースの置き場にも困るくらい。でも室内(写真94)は汚くはない。客室には簡素ながら洗面台もあり、大きめのタオル2枚、石鹸、コップが準備してある。ただし、洗面台の水はごく少ししか出ないので、コップに水をためて歯磨きできる程度である。慣れてくれば「狭い我が家」である。この列車にはバー・ラウンジ客車が連結されてなかったので、どこにも遊びに行かず部屋の中で一晩過ごすことになる。

出発してしばらくすると客室係のおじさんが夕食(写真95)を持ってきてくれた。しかし、見るからにまずそう〜。恐る恐る肉を食べてみる。これが温かくて柔らかくてうまい!ご飯もまずまず。オレンジはジューシーでデザートのチョコレートケーキもGood。結局、ほとんど食べた。

夕食後はベッドメーキングをしてもらい、客室は「2段ベットルーム」(写真96)になる。妻は下段のベッドへ、私は上段のベッドへ。何だか遠い昔の学生時代の修学旅行のような気分になってくる。枕元にライトがあるが光が弱くて読書に適さない。天井のルームライトが結構明るいので、上段のベッド(写真97)に座ってしばらく読書する。そのうち眠たくなり、寝てしまう。

夜中に2度ほど眼が覚めたが、そのまま寝込み、結局朝まで8時間くらいは睡眠をとったことになる。快適とは言えない寝台列車であったが、眠れたことは大きい。列車はナイル川に沿ってひたすら北上する。

さて、目覚めの朝食(写真98)は、ほとんどパンだけという粗末なもの。これはしかたがないか〜。パンにつける3種「チーズ、バター、ジャム」が救い。狭いながらも個室列車の中での朝食に妻(写真99)は満足そうである。私はパンを半分以上残す。しかし、妻は「おいしい」と言って完食した。お見事!

列車はギザ近郊ののどかな田園地帯(写真100)を走り抜けていく。やはり、列車の旅は夜行より昼間のほうがいい。ギザに近づくと線路脇まで住宅が建ち並んでくる。大都市近郊でありながらも住宅はみすぼらしい。綺麗ずきな日本人の感覚すれば「廃墟」と言えるような家(写真101)が建ち並ぶ。写真手前はひょっとしたら動物小屋?かもしれない。

到着予定時刻を1時間近くも遅れてギザ(写真102)に到着。14時間強にわたる寝台夜行列車の旅が終了した。ギザ駅のホームで列車に別れを告げ、アレキサンドリアに向かう。

 
F 幻滅のアレキサンドリア
  ツアー一行を乗せたバスはギザの街の渋滞を通り過ぎてアレキサンドリアまでひた走る。そして、アレキサンドリアの街に入る時に再び大渋滞にあう。

アレキサンドリア観光として、古代からの墓場「コームッシュアーファのカタコンベ」を見学する。薄暗い階段を下りていくと地下深くに墓がある。何となく不気味な雰囲気。

次に、たった1本だけ残った「ポンペイの柱」(写真103)を見学する。高さは約27mもあり、柱の下まで行くとその大きさが分かる。ポンペイの柱はローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた図書館の柱の1つで、かってはこの柱が400本もあったといわれる。何という壮大さ!

しかし、古代の壮大さに比べると現代のアレキサンドリア下町の街並み(写真104)はみすぼらしい。チンチン電車(写真105)はかなり昔の日本製で今も現役で走っている。どこを見ても薄汚く雑然とした街並と車と人の渋滞……。地中海に面したリゾート地「アレキサンドリア」、クレオパトラの街「アレキサンドリア」……。大いに期待して来てみたが、ショック! 正直、幻滅!

バスはアレキサンドリアの中心街を通って地中海に面した海岸通り(写真106)に出る。エジプト最南端のアブシンベルから最北端の地中海まで、バスと電車を乗り継いで陸路で縦断したことになる。

ツアー一行はバスから降り、地中海とサアド・ザグルール広場に面した高級ホテル「ソフィテル・セシル」(写真107)に入っていく。ロビーに入ると高級感が漂っている。このホテルは1929年創業でアレキサンドリアを代表するホテルのひとつという。ここでランチ(写真108)を取る。アレキサンドリアの下町の雑踏に少々うんざりしていた私にとって、海岸通りに並ぶ高級ホテルでの食事は何よりのリフレッシュになる。ランチのメイン料理は魚とイカのフライでVery Good。

昼食後は「アレキサンドリア国立博物館」(写真109)に行く。ここは1926年に建てられた宮殿を改築した博物館で実に美しい。館内の展示物はそれ程多くはないが、地中海の海底からの発掘物(写真110)が印象に残っている。

アレキサンドリアの歴史はエジプトとしては新しく、紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された街である。大王の死後、プトレマイオス朝時代に首都がここにおかれ、アレキサンドリアは地中海世界の文化の中心地として全盛期を迎える。その王朝最後の女王がクレオパトラである。クレオパトラが君臨し、恋をし、自殺した街「アレキサンドリア」の昔と今を見てまわる。

海岸通りに出ると無数のヨットや小舟(写真111)が碇泊している。2月中旬はちょうどエジプトの冬休みで、アレキサンドリアは地元の人や観光客であふれている。地中海に突き出た岬の先端にある「カーイトウベーイの要塞」(写真112)に行く。要塞のまわりも人でいっぱい。

アレキサンドリアを夕方出発したバスは夜遅くなってやっとカイロに到着。宿泊予定のホテル「ラムセス・ヒルトン」にチェックインする。ここはJTBのLグレードホテルなので期待を込めて客室に入る。さすがLグレードホテル!素晴らしい客室(写真113)に驚く。さらに、大きな窓を開けてバルコニーに出てみると、ナイル川をはさんでカイロの夜景(写真114)が一望できる。エジプト旅行最後の夜にふさわしいホテルである。

しかし、時間がない。時刻は既に夜10時近い。まだ夕食をとっていないので、急いでレストランへ行く。今夜はビュッフェ。適当に自分の夕食メニュー(写真115)を作る。食べ過ぎに注意しなければ、と思いつつ結構沢山のデザート(写真116)も持ってくる。完食。その後、シャワーを浴びて熟睡する。

今回のツアーは「エジプトクレオパトラ紀行」なので、アレキサンドリア観光をしたのであるが、往復7時間強のバス時間、市内観光の中身を考えると、大いに疑問が残る。

 
     
G ギ式あるザの3大ピラミッドとスフィンクス
  さわやかな寝覚め!昨夜はぐっすり眠れて気分がいい。朝7時、「ラムセス・ヒルトンホテル」(写真117)最上階のレストランに行く。ここは通常朝食はやっていないが、我々JTBツアー客のためにオープンしてくれたようだ。絶景が見える窓側の席(写真118)に座る。

ビュッフェカウンターから適当にピックアップして本日の朝食メニュー(写真119)を作る。それにしても、窓側の席からの眺めは素晴らしい。朝日が昇るにつれて、ナイル川とカイロ市街が目覚めていく。時間ぎりぎりまで、この眺め(写真120)を楽しみながら朝食をとる。カイロ市街の貧困や雑踏は高級ホテルの最上階からは消えてなくなる。いつの時代でも王様や特権階級の人達は、このような高みから見物しているのであろう……。部屋に戻りもう一度バルコニーからの眺めを味わってからツアーのバスに乗り込む。ぎりぎりセーフ。

3大ピラミッドがあるギザはカイロの西方13Kmにあり、渋滞がなければバス移動に時間はかからない。バスがギザに近づくと突然ピラミッドが見えはじめ車内から喚声があがる。それにしてもギザの市街地のすぐ横に巨大なピラミッド(写真121)が建っているのに驚く。また、ギザの街の中の用水がゴミで埋もれ男の人がゴミの山で何かを拾っている光景(写真122)にも驚かされる。古代の栄光と現代の貧困!

最初に「クフ王のピラミッド」(写真123)に行く。見事な四角錐で角度もある。本来の高さは146mだったが、頂上部がなくなったため現在は137m。頂上の中央に建っている鉄の棒が本来の頂上を示している。クフ王のピラミッドの真下まで行く。1つ1つの石が大きく下から見上げると圧倒的な重量感が感じられる。古代エジプト人はとんでもない物を造ったものだ。

現地ガイドさんが言っていた。「ヨーロッパ人が古代エジプトの遺跡を発掘するまで、エジプト人はピラミッドの価値が分からなかった。ピラミッドを解体して、その石でダムを作ろう、という話もあった」と‥‥。

私が驚いたのは、見本用に置かれている見事な「化粧岩」(写真124)である。表面がつるつるで美しい。かっては、ピラミッドの表面がこの化粧岩で全部覆われていたという。今では全部盗まれ、他の王や貴族の屋敷造りに使われた。

次に「カフラー王のピラミッド」(写真125)に行く。高さ143m。表面を覆っていた化粧岩も上部と下部の一部が残っており、保存状態がいい。腰をまるめてピラミッドの内部に入るが、まるで感激なし。

次に、ギザの3大ピラミッドが見える小高い丘(写真126)に行く。ここには観光用のラクダがたくさんいるが、ぼったくりラクダ引きに注意!ガイドさんの案内で希望者は5ドルでラクダに乗る。ただし、数分間だけ。私は興味なかったが、妻は大喜びでラクダに乗る。

いよいよスフィンクス(写真127)とご対面である。ピラミッドを背後にしたスフィンクス像は見応えがある。スフィンクスはファラオや神を守る聖獣とされ高さ20m、全長57mもある。アラブ人のエジプト進入後、スフィンクスの鼻は削られ、長いヒゲはイギリス人に切り取られてしまった。そのヒゲは現在、大英博物館にある。痛ましいスフィンクスを慰め、スフィンクスに恋した日本人女性(写真128)がいる。

ギザのピラミッドやスフィンクスはエジプトの古王国時代、紀元前2550年頃に造られたもので、ルクソールの巨大神殿建設より1000年近く前のことである。世界最古にして世界最大の遺跡、これはミステリーだ。

ピラミッド観光の後、カイロにもどりエジプト考古学博物館(写真129)に行く。写真撮影厳禁で、カメラ・ビデオは外で預けてから館内に入る。「ツタンカーメンの黄金のマスク」の部屋は見事と言うしかない。追加料金が必要だがラムセス2世やハトシェプスト女王の本物の「ミイラ」は必見。全身が震えるような感動‥‥。

カイロの人口は約1200万人。街(写真130)は車や人であふれ、交通渋滞や騒音が激しい。さらに、カイロの中心街でもビルは古くて黒ずみ、崩れそうで汚い建物(写真131)をたくさん目にする。カイロの年間降水量はわずか25mmと少なく、日本のように雨で洗い流すことがない。しかし、それを考慮してもエジプトの後進性(貧困)を感じる。

最後に、カイロのバザールで有名な「ハーン・ハリーリ」(写真132)に行く。ここで1時間くらい自由時間があり、値段交渉しながら買い物を楽しむ。「商品の値段を値切って買う」という経験があまりない日本人にとっては、このバザールは新鮮でおもしろい。買い物終了後は、ツアーの皆さんそれぞれ「どれだけ安く買いたたいたか」の武勇伝で盛り上がる。特に、大阪から来たおばさん達の気合の入れようは凄い。

エジプト最後の食事(ランチ:写真133)をハーン・ハリーリ内のレストランでとる。アエーシ(左のパン)の中央から半分に割いて、中に前菜やターメイヤ(空豆のコロッケ)を入れて食べる。肉、ナス、トマトの煮込み料理もあり結構おいしかった。今回のエジプト旅行の食事は予想に反して良かった。

2月18日午後6時、カイロ発、エジプト航空のエアバス340に搭乗する。帰国便は気流の関係でフライト時間が短縮され11時間で日本(関空)に到着。ラッキー!

エジプト航空はスターアライアンスに加盟しており、私が集めているユナイテッドマイレージ・プラスにマイル加算できる。予約クラスはHで、ツアーでも100%マイル加算され、往復約11500マイルたまる。さらに、旅行代金1人約23万円をユナイテッドマイレージ提携クレジットカードで払って2300マイル加算。合計13800マイルになる。

ちょっと不足するが、15000マイルあれば沖縄まで往復無料で行ける(全日空利用による特典旅行)。航空代金の高くなる夏休みに沖縄までの特典予約が取れればマイルの価値が増す。エジプト航空によるエジプト世界遺産の旅は魅力的である。   …END…

 
     
H 一般情報
  ◎エジプト大使館 エジプト学・観光局(日本語版)
http://www.egypt.or.jp/index.html
非常に良くできたサイトで、ここからかなりの情報収集ができる。
特に「地域別情報」が有益。

◎エジプト航空ホームページ(日本語版)
http://www.egyptair.jp/

                                        (2010年6月 掲載)