@ パルテノン神殿とアテネ市街  
     
A メテオラの空中修道院  
     
B デルフィ遺跡  
     
C オリンピア遺跡・ミケーネ遺跡  
     
D エーゲ海クルーズ  
     
E 一般情報  
     
     
@ パルテノン神殿とアテネ市街
  2008年8月下旬、私は妻と娘同伴でルックJTBのツアー「神々の大地、ギリシャ周遊8日間(成田発)」に参加した。効率よくギリシャの世界遺産を見て回るにはツアーが便利である。ユーロ高、原油高の折り、ホテルのグレードにはこだわらず、できるだけ安いツアーを探した。しかし、夏休み期間なのでどれも高めで、結局ツアー代金は約32万円、空港税・燃油サーチャージ代等4.8万円、合計約37万円支払った。家族3人で計算すればこの3倍の値段。大出血。

航空会社未定のツアーなので、出発近くにならないとエアラインは決まらない。ユナイテッドマイレージの熱烈なマイラー(熱心に飛行マイルを集めている人達の俗称)の私としてはツアーの最大の難点である。結局、ローマ経由のアリタリア航空だった。よって、積算マイルはゼロ。誠に残念!各都市の宿泊ホテルはルックJTBのホテルグレード(高い方からSL,L,A,B,C)のBランク。5段階評定で言えば2になるので、期待できそうにない。滞在型ではないのでホテルは我慢しよう。では、出発。

成田からローマまでの機種はボーイング777だった。座席配列はエコノミー横3-3-3の9列(写真1)。家族3人で窓側から3席に座り、ローマまでのロングフライトを楽しむ。ビジネスクラスにこだわる私であるが家族で旅行する場合は肩と肩が触れ合うエコノミーも悪くはない。妻や娘とおしゃべりをし、機内食(写真2)を楽しみ、映画を見る。また、ガイドブックで古代ギリシャの勉強もする。しかし、アリタリア航空の座席(シートピッチ)は狭い。リクライニングもあまりなく、とても眠れない。ドリンク類の種類も少なく、全体的にサービスが悪いと感じた。

ローマ経由でアテネのホテルに到着したのが、現地時間の深夜3時頃。無茶苦茶な時間帯である。アテネでは「オスカーホテルアテネ」(写真3)に宿泊。鉄道や地下鉄の駅前にあり、アクセスに便利なホテルである。少し仮眠しただけでアテネの朝を迎える。それでも客室のバルコニーから朝のアテネ市街を見ると雲1つない青空が広がり嬉しくなる。早速、ビュッフェの朝食をとる。種類が少なく、味もあまり良くない。

午前9時、大型バスに乗ってホテルを出発。アテネ市内観光に出かける。外観が美しい「アカデミー」(写真4)前を通り、アテネの中心「シンタグマ広場」、そして「ゼウス神殿」を車窓から眺める。 本日のメインは「アクロポリスの丘」(写真5)そして、その丘にそびえる「パルテノン神殿」観光である。アクロポリスの丘はアテネ市街の中心にあり、パルテノン神殿からはアテネ市街の全貌が見える。古代ギリシャの為政者達の夢の後をじっくり見学しよう。

アクロポリスのバス停から少し階段を上がり、チケット売場まで来ると既に大勢の観光客が集まっている。アテネは地中海クルーズの重要な寄港地で豪華客船が入港する時はクルーズ客が大挙してパルテノン神殿観光に来るという。チケット売場から入場し丘を上っていくと、右下方に「イロド・アティコス音楽堂」(写真6)が見えてくる。西暦161年に建築されたもので、現役の音楽堂である。夏の芸術祭「アテネ・フェスティバル」の会場で、演劇、コンサート、オペラ、ギリシャ古典劇などが上演されるという。音楽堂から少し離れた場所に「ディオニソス劇場」の遺跡(写真7)が見える。この劇場は紀元前6世紀に造られ15000人収容の大劇場であったという。ディオニソスとはギリシャ神話での酒と演劇の神の意味である。

アクロポリスの丘の周囲は断崖絶壁になっており、唯一の前門「プロピライア」(写真8)を通って丘の上にあがる。前門は既に観光客でいっぱいである。プロピライアの門を抜けると、いきなり巨大な「パルテノン神殿」(写真9)が目の前に迫ってくる。想像していたよりはるかに巨大で重量感がある。横31m縦70m柱の高さ10mにも及ぶパルテノン神殿は紀元前432年に完成。実際に目の前に立ってみるとその壮大さが分かる。古代アテネの強大な力と栄光に脱帽。

巨大なパルテノン神殿の前に可愛らしい「エレクティオン」(写真10)がある。紀元前421年〜415年のペロポネソス戦争の間に建築された。このエレクティオンの最高傑作が屋根を支える「カリアテディス」と呼ばれる少女像(写真11)であろう。古代ギリシャ人達の芸術的センスに驚かされる。エレクティオン北側にあるイオニア式円柱も美しい。優美なエレクティオンがパルテノン神殿のパワーを引き立てている。それにしても暑い。午前中にもかかわらず直射日光の下では汗が噴き出す。

私はパルテノン神殿も良かったのであるが、むしろアクロポリスから見たアテネ市街の絶景に感動した。その感動を時計回りに紹介しよう。

@「フィロパポスの丘」(写真12
 遠くにエーゲ海が見える。
A「ゼウス神殿」(写真13
  この神殿はローマ皇帝アドリアヌス時代(2世紀)に完成したもので、合計104本ものコリント式の柱が並んでいたという。現在まで残っている柱は15本。
B「リカヴィトスの丘」(写真14
 リカヴィトスの丘はアテネでは一番高い丘(273m)で、頂上に はレストランがありアテネの絶景が楽しめるという。
C「ソクラテスの岩場」(写真15
  中央の大きな岩山は「ソクラテスの岩場」。この岩の上で幾多の偉人達が民主政治、数学、自然科学、哲学を論じたのであろうか?

ピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、アポロニウス等、古代ギリシャの偉人達が人類に残した遺産は計り知れない。元数学教師の私としては彼らの故郷に一度は来てみたかったのである。

パルテノン神殿見学の後、早くもトラブル発生!ツアー客の1人がパスポートを盗まれたのである。ベテラン添乗員さんが適切に対応する。被害者の男性と添乗員さんをアテネ中心街で降ろし我々はバスで「パナティナイコ・スタジアム」(写真16)に行く。1896年、ここで第1回近代オリンピックが開催された。スタジアムの観客席は大理石で出来ており約5万人が入場可能。ここは2004年アテネオリンピックのマラソンのゴール地点となった場所で、野口みずき選手がトップでゴールした競技場でもある。

アテネの宿泊ホテル「オスカーホテル」はツアー後半にも2泊した。このホテルの「アポロン・ルーフガーデン」(写真17)はBクラスのホテルとしては特筆ものである。ルーフガーデンはその名前の通り、屋上をカフェテラス風にしたもので、アテネ市街(写真18)が一望できる。このルーフガーデンにはバーカウンターがあり、ソフトドリンク・アルコール等の注文ができる。特に、夜がいい。冷たい飲み物を飲みながらアテネ市街の夜景を眺めるのは最高の贅沢。

そして、ルーフガーデンの目玉が屋上プール(写真19写真20)である。遠くにアクロポリスの丘とパルテノン神殿が見える。夜になるとライトアップしたパルテノン神殿が闇夜から浮かび上がる。ツアー5日目、オリンピアからアテネへもどってきた夕方、私はこのプールで泳いだ。沈む夕陽とパルテノン神殿を眺めながらの水泳は格別である。妻と娘は泳がなかったが、この風景に大満足であった。

 
     
A メテオラの空中修道院
 

アテネ市内観光の後はバスでひたすら北上(約350km)し、メテオラ観光の拠点となる村「カランバカ」に行く。ギリシャの中央、テッサリア平原に突然現れた奇岩群と空中修道院、世界遺産メテオラはミステリーに包まれている。

アテネからの長いバスの旅を終え、やっと、カランバカのホテル「ファミッシ・エデン」に到着。メテオラの奇岩群をバックにした山岳リゾート風のホテル(写真21)に感激する。待望の夕食は白を基調にした明るいホテルのレストランでのコース料理。スープ、グリークサラダ(写真22)、牛肉の煮込み料理(写真23)、デザート…、料理を味わいながら、見知らぬツアー客どうしお喋りをする。これも団体旅行の楽しみの一つ。

ホテルの前にガーデンプール(写真24)があり、ホテルの明かりが水面に写って美しい。夕食後、家族3人そろってプールサイドのチェアーに寝ころび夜空を見上げる。星が綺麗。時折、涼しい風が吹いてきて実に快適、Tシャツ、短パンでは寒いくらいである。客室は少し古い感じはするが、山岳リゾートと思えば悪くない。窓の外にはバルコニーもあり、巨大な奇岩群が見える。シャワーを浴びて早めに寝る。

メテオラ観光の朝、ホテルの正面に朝日が当たって輝いている。昨夜は良く眠れたし、雲1つない天気に嬉しさが込み上げてくる。早速カメラを持って、1人で早朝のホテル内を散歩する。これが楽しい。誰もいない早朝のガーデンプール(写真25)周辺を散歩する。風も音もなくプールの水面がまるで鏡のようにホテルやメテオラの奇岩群(写真26)を映し出す。朝の静寂!

朝食はコンチネンタルのビュッフェ。種類も少なく、アテネのホテルとよく似ている。でも、朝はこれで十分である。早めに朝食を済ませて、家族でホテルのガーデンプール周辺を散歩する。メテオラの修道院見学には開放的な服装はダメで、女性は膝下のスカート着用になっている。私の娘(写真27)は大学4年生。人生で一番楽しい時期である。しかし、恐らく本人にはその良さが分からないであろう。人は失ってはじめてその価値に気づく。「若さ」しかり、「健康」しかり。メテオラ修道院見学の前に少し哲学的な心境になる。アウトサイドのラウンジ(写真28)で娘と朝食後のコーヒーを飲む。

テッサリア平原に突然出現したメテオラの巨大な「岩の塔」。メテオラは「空中につり上げられた」という意味で、いつ頃、どのようにしてこの奇岩群(写真29)ができたか、いまだに分かっていないという。紀元前後にこの地を旅した2名の詳細な紀行文が残っている。しかし、メテオラの奇岩群については一切の記述がない。旅行記の信頼性は確かという。となると、この奇岩群は紀元後になってから誕生したことになる。

奇岩群誕生の1つに「水の浸食作用・風食作用」説がある。しかし、紀元後からわずか2000年間でこれだけの自然の変化が起きるとは思えない。他方「ゼウスが怒って天界から岩山を投げた」という伝説もある。現代風に解釈すれば「いん石」説となろう。いん石だとすると、これだけ大量、巨大ないん石群がギリシャに激突すれば、地球に大変動が起き、その証拠が地球上に多数残っているはずである。無論、そんな記録はない。

真実は?現代の科学技術を総動員すれば「メテオラの謎」が解明されるかもしれない。しかし、それは「しないし、してはならない」ことらしい。「たとえ科学的に解明できる事でも、ミステリー、ファジーのままにしておいた方がいい場合もある」と添乗員さんが解説していた。人間は100%合理的に行動するわけではない。「知らぬままにしておく価値」に私は大いに納得する。

ミステリーに包まれたメテオラの絶壁の塔の上に多数の修道院がある。これらを見学に行く。最初は聖ニコラオス修道院(写真30)。細くて狭い岩に張り付いた修道院である。ここでは写真撮影だけで、バスは坂道をどんどん上っていく。ルサヌー修道院の前まで来ると遙か下方に先ほどの聖ニコラオス修道院(写真31)が小さく見える。

バスを降りて、ルサヌー修道院への長い階段(写真32)を上がっていく。突然、絶壁に建つルサヌー修道院(写真33)の一部が見えてくる。ルサヌー修道院には現在14人の女性修道士がおり、未婚・家族なしで日々、神との対話をしているという。ご苦労様。修道院の内部を見学した後、バルコニーで一休み。ここからの眺めは素晴らしく、遠くに「ヴァルラーム修道院」(写真34)が見える。

地上から高い所は神に近い場所という考えで、出来るだけ高い山の頂に修道院は建てられている。ルサヌー修道院を後にしたツアー一行は、さらに高い山の上にある「ヴァルラーム修道院」に向かう。岸壁を削って造った長い階段(写真35)を登っていく。直射日光にあたると暑いが日陰に入ると涼しい。湿気がないので気温が高くてもさわやかに感じる。ギリシャ観光は午前中がいい。

1350年、修道士ヴァルラームが、この岸壁の上に小さな教会と小さな部屋を建てたのがヴァルラーム修道院のはじまり。1922年岸壁を削って階段が造られたので、参拝者は安全で楽に修道院まで上れるようになった。それまでは絶壁に掛けられたロープの直立はしごで登らねばならなかったという。「修道院に至る約30分間の恐怖と苦痛に耐える」この意味も大きい。神に近い場所に来るなら、それなりの恐怖と苦痛を乗り越えて来なさい、ということであろう。今ではごく簡単に階段を上って修道院まで来れる。

ある観光客の言葉。「エレベーターないの?」
何という神へのぼうとく。「ばか者、汗を流せ!」

ヴァルラーム修道院の展望台からの眺め(写真36)を満喫した後、ツアー最後の修道院、聖トリアダ修道院(写真37)へ向かう。1458年〜1476年頃建造。まさに下界とは隔絶した岩山の上に建つ孤立した修道院である。1888年から岩の上に細道が切り開かれ1925年に完成。今では130段の階段を使って容易に修道院に上れる。それ以前のアクセスはロープの垂直はしごだったという。その恐怖や如何に!。残念なが時間の関係で写真撮影のみで通り過ぎる。

午前中にたっぷり修道院見学をした後、カランバカの村はずれにあるレストラン「パラッチオ」で昼食となった。前夜宿泊したファミッシホテルと同系列という。ギリシャに似合わないおしゃれなレストランである。店内は非常に綺麗で文句なし。

メテオラ観光でのどが渇いていたので、濃厚な生絞りのオレンジジュースを注文する。実にうまい。前菜はギリシャの名物料理「ドルマダキア」(写真38)。ライスとひき肉をブドウの葉で包んだもので、おいしかった。サラダもGood。そして、メインはチキン(写真39)のグリル。付け合わせはおくらのオリーブ焼き。こんがり焼けたチキンがうまい。デザートは「ガラクトブレコ」という牛乳から作ったケーキで、食感は固めのプリンのよう。ハチミツが染みこんでいてかなり甘い。でもおいしい。

今回のツアーは低価格で「ホテル」も「食事」もあまり期待しなかったが、カランバカの山岳リゾートホテル「ファミッシ・エデン」とレストラン「パラッチオ」に大満足した。もちろん、メテオラの奇岩群や修道院が素晴らしかったことは言うまでもない。昼食後はメテオラの奇岩群(写真40)を後に、一路南下し、次の世界遺産「デルフィ遺跡」に向かう。

 
     
B デルフィ遺跡
 

カランバカから4時間ほどかけて、デルフィ近郊にある小さな港町「イテア」のホテル「ナフシカ」(写真41)に到着。なかなか良いホテルのようである。玄関、廊下、壁、階段、すべて純白な大理石で造られており高級感がある。さすがJTB、安くてもそれ程レベルを落とさない。Good!

イテアはコリンティアコス湾に面する港町(写真42)であり、海水浴ができるビーチもあるという。夕食まで時間があるので、家族でイテアの港からビーチまで散歩する。見知らぬ外国の小さな港町、どんな雰囲気なのか?ワクワクする。港の周辺にはショップやレストランが沢山あり、田舎のビーチリゾートのような感じである。港に小型客船も停泊している。クルーズターミナルから南の方向へ歩いていくと、ビーチ沿いに沢山のレストラン(写真43)がオープンしており、気分も盛り上がってくる。

しばらく歩いていくと素敵なモニュメント(写真44)に出会った。グリーンの芝生の左側はショップ・レストラン、右側は青い海。絵になる風景。そして、砂浜のビーチ(写真45)に至る。今日は8月26日の火曜日。泳いでいる人は少なく、ビーチも閑散としている。ベンチに腰かけ、のどかな地元のビーチの雰囲気を楽しむ。水着を持参して散歩に出るべきだったと後悔する。泳げるビーチはホテルから遠く、水着を取りに帰る時間はない。泳ぐかわりにまわりの景色を楽しむことにする。夏のギリシャの日暮れは遅く、夕方7時頃でも太陽が高い。素晴らしいビーチの夕暮れ(写真46)を堪能する。

今夜のディナーはホテルのレストランにて。添乗員付きツアーは本当に楽でいい。見所満載で食事の心配もしなくていい。前菜はチーズとホウレン草のパイ(写真47)。メインはギリシャ名物料理「スブラキ」(写真48)。スブラキは肉の串焼きで付け合わせのポテトと共にうまかった。

食後は再び港に出かけ、夜のクルーズターミナル周辺を散歩する。ビーチサイドのレストランには沢山の人が入っており、夏の夜長を楽しんでいる。若ければ私もここで遊んでいくところであるが、疲れたので早めにホテルに帰って寝る。

目覚めの朝。バルコニーに出てみると今日も快晴。全くギリシャの夏の天気はすごい。毎日快晴で、雲さえ出来ない。年間300日以上快晴だという。

デルフィはパルナッソス連山の中腹にあり、海辺の町「イテア」からは、途中、広大なオリーブ畑(写真49)を通り抜けていく。このオリーブ畑はオリーブの海とも呼ばれる。デルフィは古代ギリシャの宗教の中心地として栄え、紀元前6世紀頃に全盛期をむかえる。古代の人々はデルフィを全世界の中心「世界のヘソ」と考えていたという。オリーブの海の向こうにコリンティアコス湾が見える。

デルフィは古代ギリシャの「聖域」とされ、ここでアポロンの神託(神のお告げ)が行われた。この神託をもとにして、個人も国家指導者も重大事を決定していたという。参拝者から神託のお礼として奉納物や祈願料を受け取り、デルフィは大いに繁栄する。デルフィ遺跡見学の前にデルフィ博物館(写真50)に入ってデルフィの勉強をする。以下、デルフィ博物館所蔵品の代表作を紹介する。

@有翼のスフィンクス(写真51
 ナクソス島の人々による奉納物
A黄金の宝物(写真52
 大きくて豪華で細密なゴールドの奉納物は神の注目を受けるとされていた。
B「大地のへそ(オンファロス)」の一部(写真53
 大理石でできており、デルフィの中心であるアポロン神殿に安置されていた。
 オンファロスの前で神託が行われた。
C「御者の像」(写真54
 紀元前478年頃の古典時代における傑作のひとつで、このデルフィ博物館の代表作。
 青銅製。

テレビの日経スペシャルに「ガイアの夜明け」という番組がある。役所広司がナビゲータ役をする異色の経済ドキュメンタリーで、このガイアとはギリシャ神話に登場する大地の女神。伝説によればデルフィにはガイアの息子である蛇身のピュトンが棲んでいたが、アポロンがやってきてピュトンを殺し、ガイアの予言の力を自分のものとしたという。アポロンは予言、牧羊、音楽、弓矢等の神であり、ギリシャ古典時代の理想の青年像と考えられていた。

デルフィ博物館で一通りお勉強した後、デルフィ博物館のショップ・カフェテリア(写真55)で休憩。この上方の山の斜面に遺跡がある。それにしても、古代ギリシャを理解するためにはギリシャ神話の知識が不可欠。勉強不足を後悔する。

さて、これから実際に遺跡見学に出かけよう。まず、遺跡入り口付近の参道からのデルフィ遺跡全体(写真56)を見上げる。参道の両側にはアポロンの神託のお礼として献上した宝庫や奉納記念碑が建ち並んでいる。現代風に解釈すれば、首都に集まる各国の銀行ということか。その中でも、フランスの考古学会が再建した「アテネ人の宝庫」(写真57)は見事である。これは、アテネがマラトンの戦いでペルシャ軍に勝利した感謝のしるしとして、アポロンに捧げた宝庫という。

いよいよデルフィ遺跡の中心「アポロン神殿」(写真58)に至る。アポロン神殿が最初に建てられたのは紀元前7世紀頃であるが、その後、火災や地震にあい、現存するものは紀元前370頃の神殿である。 再建されたアポロン神殿はドリア様式の周柱型の神殿で、正面と背面に各6本、各側面に15本の円柱が立っていたという。神殿の長さは60m、幅23m。相当大きい。このアポロン神殿の中(写真59)に「大地のへそ(オンファロス)」が設置され、その前で神託が行われた。

アポロン神殿の後方の傾斜面を上ると劇場の跡がある。これは紀元前4世紀に建てられた古代劇場で、35段ある観客席に約5000人を収容できたという。さらに、この上に紀元前5世紀に建てられたスタジアムがある。

古代世界の中心「デルフィ」の最も聖なる場所に今私はいる。しかし、それ程感動はなく、かなり疲れてきた。古代ギリシャの遺跡巡りは「知識」と「想像力」が必要になる。ギリシャ神話や古代遺跡への興味があり、しっかり勉強してきている人、また、遺跡を前にして古代世界が鮮やかに浮かび上がってくる人にとってはたまらなく魅力的な場所になろう。妻と娘は大変感動していた。しかし、それほどでもない私にとっては、夏の太陽が私の体力を消耗させ、気力も無くさせる。暑い!あつ……い!

午前中デルフィ遺跡見学をした跡、港町イテアにもどってきて、ビーチに面したレストラン「スカラ」(写真60)でランチをとる。これで一息つける。しかし、レストランはテントとテーブルだけでエアコンなし。昼頃になると強烈な太陽が差してきて日陰でも暑くなり、海風もなま暖かくて決して快適ではない。昼食後は速やかにバスに逃げ込む。

 
     
C オリンピア遺跡・ミケーネ遺跡
 

港町イテアで昼食をとった後、バスで大移動(約210km)し、オリンピアへ向かう。途中、コリンティアコス湾に面した絵のように美しい小さなビーチがいくつも現れ、妻は車窓からの眺めに感動しまくっていた。しかし、娘と私は別の席で熟睡。

妻曰く「あんなに綺麗な景色を見ないなんて、一生後悔するわよ」
私曰く「見てないんだから、後悔のしようがない」

夕方、オリンピアのホテル「オリンピア・パレス」(写真61)に到着。オリンピアはペロポネソス半島の西部、イオニア海に近い場所にあり、スポーツの祭典「オリンピック」の発祥の地である。現代の華やかなオリンピックのイメージと、今のオリンピアの町とのギャップは大きい。オリンピアは緑多い山あいにある人口1500人ほどの小さな町である。ギリシャにしては珍しく緑が多く、美しい風景(写真62)が広がる。

夕食まで時間があるので、家族でオリンピアのメインストリート(写真63)を散歩する。この通りの両側に沢山のショップ・レストランが並んでいる。しかし、20分も歩けば通り抜けてしまうくらい小さな町である。妻と私はカフェテリアでティータイムにし、娘は一人で何処かへ行く。若者は好奇心でいっぱいである。パレスホテルのレストランでのビュッフェの夕食を済ませ早めに寝る。

ギリシャ旅行5日目の朝。時差も完全に無くなり旅行生活にもリズムが出来てくる。早速、レストランに行く。朝食(写真64)はアメリカンのビュッフェで種類が多い。朝食後、早くも朝7時45分、ホテルを出発し、歩いてオリンピアの遺跡へ行く。朝一番の入場である。夏のギリシャでも朝は涼しく、すがすがしい。

オリンピアの遺跡の近くにはクラデオス川が流れ、周辺には緑が多い。神話によれば、この地は古くは「聖なる森アルティスの礼拝地」として、その後は「ゼウスの聖なる巡礼地」として栄えたという。 古代オリンピックはゼウスを祀る奉納試合として4年に一度行われた。驚くべき事は、紀元前776年からローマ時代の393年まで、約1200年にわたって一度も中止されなかったことである。

オリンピア遺跡の中心となるものがゼウス神殿(写真65)で、紀元前470年〜紀元前456年に完成。現在、わずかに柱1本を残して廃墟となっているが、長さ64m、幅27m、ドリア式の柱の高さ10m、アテネのパルテノン神殿に匹敵する壮大な神殿だったという。地震で倒れた柱の一部がそのままになっている。

ゼウス神殿に並列して小柄なヘラ神殿(写真66)がある。ヘラ神殿はゼウスの妻ヘラを祀ったもので、紀元前7世紀(ゼウス神殿より早い)に建造されたドリア様式の神殿である。正面と後面に各6本、側面に16本の円柱が立っていたという。ヘラ神殿の前に石で囲まれた小さな場所(写真67)がある。ここはオリンピックの「聖火の場所」。近代オリンピックの聖火もこの場所で点火される。2008年3月24日、北京オリンピックの聖火がここで点火された。

古代オリンピック競技の内容は「短距離走」「格闘技」「レスリング」「円盤投げ」「槍投げ」「競馬」「戦車競争」など。出場者は出身ポリス(都市国家)の名誉をかけて闘い、優勝者は故郷に凱旋したという。現代と同じだ。

広いスタジアム(写真68)に入る。直線距離で192mのコースを持つ競技場(写真69)で、クロニオン山麓に沿って観客席が設けられ、3万人を収容。今もなおスタート・ラインの石板を見ることができる。家族3人でスタートラインに並び、よーいドン!誰もいないスタジアムを娘は駆け抜け、妻と私はトボトボと走る。実際に走ってみると192mの距離は長い。ひと汗かいてしまった。

キリスト教の国教化で知られるテオドシウス1世が異教徒を禁じたため、オリンピア祭は終了。さらに、426年の異教徒の神殿破壊令によってオリンピア聖域は破壊され、6世紀中頃の大地震により地中に埋没した。あー無惨!(発掘は1875年)

2時間ほどオリンピアの遺跡を見学した後、バスでペロポネソス半島の山岳地帯を越えてミケーネ(距離約230km)へ向かう。途中、ミケーネに近い場所で昼食。立派なレストラン(写真70)に驚く。レストラン横にある白亜の柱列(写真71)は観光客向けに神殿をイメージしたオブジェなのだろうか?ギリシャのイメージにぴったりの演出ですごくいい。昼頃になると夏の太陽が強烈に照りだし、まぶしくてしょうがない。サングラスが必携。遠くにミケーネ遺跡が眠るイリアス山、ザラ山が見える。

このレストランの名前は「コリゼラス(KOLIZERAS)」。どうやら、ミケーネ遺跡に来る観光客専用のレストランのようである。広いレストランの店内は団体客でかなり埋まっている。他の日本人団体ツアー客も食事をしていた。前菜は「スタッフドトマト」(写真72)大きなトマトの中に米などを詰めて煮たものでギリシャ料理の1つ。メインはギリシャの名物料理「スティファド」(写真73)スティファドは肉をたっぷりの玉ねぎで煮込んだギリシャ風シチューで日本人の口によく合う。付け合わせはポテトとレタス。ギリシャの国旗が刺してあるデザート(写真74)はアップルパイとアイスクリーム。とてもおいしかった。ギリシャ国旗の青は海を、白は空を、十字はギリシャ正教への信仰を表すという。

ミケーネ遺跡訪問の前に「トロイ戦争」と「シュリーマン」の勉強をする必要がある。トロイ戦争は紀元前13世紀後半、スパルタの絶世の美女である王妃ヘレネがトロイの王パリスに誘惑されたのが原因。ミケーネ王アガメムノンは弟であるスパルタ王のために総大将としてギリシャの大軍を率いてトロイに攻め込む。そして、10年の歳月をかけてトロイを陥落させる。

トロイ戦争にまつわる壮大な歴史ロマンは「ホメロスの叙事詩」と共に、後生に語り伝えられた。この詩の英雄たちに憧れ、神話の世界ではなく事実だと信じたシュリーマンは私費を投じて発掘調査をし、1876年ミケーネ遺跡(写真75)を発見した。ホメロスの詩に伝えられた伝説は、円形墓地A(写真76)の発見によって史実としてよみがえった。

しかし、「幼少の頃にホメロスの叙事詩に感動して、トロイ発掘を志した」というのは功名心の強いシュリーマンの創作であることが近年の研究で分かってきた。また、「ホメロスの神話ではなくトロイは実在する」というシュリーマンのトロイ実在説も当時既に知られており、発掘調査も行われていたという。実際の発掘においてはオリンピア調査隊も協力した。シュリーマンをあまり英雄視するのも疑問?

王宮跡(写真77)は丘の頂きにあり、アルゴス平野が一望できる。ミケーネ遺跡とは少し離れた場所に「アトレウスの宝庫」または「アガメムノンの墓」(写真78)がある。紀元前1250年頃の建造で、通路の長さは36m、幅6m、墓の中は上部にいくにつれて狭まっている円錐形になっている。トロイ戦争の英雄「アガメムノン」を想像する。

ミケーネ遺跡見学の後、コリントス運河をバスで渡ってアテネへ向かう。コリントスはギリシャ本土とペロポネソス半島のつなぎ目にあたり、東側にサロニコス湾、西側にコリンティアコス湾が広がる。ドライブインでバスを降り、歩いて運河にかかる橋を渡る。コリントス運河は、高さ80m、幅23m、長さ6343m。橋の上から運河(写真79)をのぞいてみると、結構迫力がある。トイレ休憩の後、バスは一路アテネへ向かう。明日はいよいよ「エーゲ海クルーズ」である。

 
     
D エーゲ海クルーズ
 

ツアーの最後はエーゲ海1日クルーズ。遺跡巡りもいいが、ギリシャに来たからにはエーゲ海クルーズは外せない。クルーズ船(写真80)は朝8時30分、アテネ近郊のピレウス港を出航し、鏡のように静かなエーゲ海を沖へと進む。

まずは、船内探検である。船の先頭(写真81)には沢山のラウンジチェアーが並び既に満席。早い者勝ちである。3階の展望デッキにあるバーカウンター(写真82)では飲み物や軽食を販売している。屋根付きの2階のデッキにもバーカウンター(写真83)があり、ここでも飲み物と軽食の販売をしている。冷たい飲み物を手に、展望デッキ(写真84)のお気に入りの席に座り、ひたすら青い海を眺める。しかも、ここはエーゲ海!これぞ、クルーズの醍醐味である。

デッキ2階には宝石類のショップがあり、デッキの1階にはレストラン兼ダンスホールがある。陽気なクルー達のダンスや歌の披露(写真85)もある。しかし、クルーズ施設の紹介はこれで終わり。エーゲ海クルーズと言っても1日だけの日帰りクルーズなので船も小さく豪華客船とは訳が違う。残念!

3時間ほど、洋上のクルーズを楽しんだ後、船は最初の寄港地「イドラ島」(写真86)に到着。私はクルーズ船が寄港地に入港するシーンが好きである。どんな景色が目の前に展開するかドキドキする。カメラを構えて写真を撮りまくる。

イドラ島は東西20km南北5kmの細長い島で、人口は約2800人。18〜19世紀にかけて、イドラの商人達は海上貿易で成功し巨万の富を得たという。1821年からのギリシャ独立戦争で、彼らは自分達の船を武装し、海戦で大活躍する。

イドラ島は自動車やバイクの乗り入れが禁止されており、観光客を乗せた馬(写真87)がゆっくり島内を闊歩する。イドラ島の中心は船の着く「イドラ・タウン」で、この町は昔から世界中のアーティストの卵たちが集まり、「芸術家の島」とも言われる。芸術家の島らしく、おしゃれなレストラン(写真88)が多い。岸壁の上にもレストラン(写真89)がある。

それにしても、海が青く、水がきれい。さすがエーゲ海だけある。港から北方向へしばらく歩いていくと、素晴らしいビーチ(写真90)に出会える。白砂のビーチではなく岩場である。それ故、海水の透明度は抜群。強烈な太陽光線が海に射しこみ、海底まで透けて見える。ここでシュノーケルをすればどんなに素晴らしいであろうか……。誠に残念ながら、ツアーではゆっくり泳いでる時間はない。

イドラ島滞在時間はわずか70分。イドラ・タウン周辺を歩いて見て回っているだけで時間がたってしまう。岩場のビーチの上には絵に描いたような素敵なレストラン(写真91)がある。透明度抜群の海で遊び、エーゲ海に突き出たテラス席(写真92)で食事をする。そして、時間を気にせず、夕暮れまでひたすら群青色のエーゲ海を眺める。次回は(いつのことやら?)イドラ島滞在で決まり!
午後1時頃、イドラ島出航。我々が島内観光をしている間にランチのテーブルセッティング(写真93)がされていた。意外とちゃんとした雰囲気に驚く。まずは、サラダとパン(写真94)。お腹が減っているのでうまい。次にトマト風味のパスタ。あまりうまくない。半分以上残す。メインの肉料理(写真95)。肉と付け合わせはよかったのであるが、ご飯がダメ。そしてデザート。エーゲ海1日クルーズなので食事はあまり期待していなかったが、(味はともかく)雰囲気はなかなかいい。

誰もいないランチタイムの展望デッキ(写真96)に行く。船は静かにイドラ島を離れ、次の寄港地「ポロス島」に向かう。ポロス島まで約2時間。昼食後はお昼寝タイムである。しかし、豪華客船と違ってベッドやリクライニングのチェアーもない。おまけに、2階の我々の席にはエアコンも無く、なま暖かい海風が吹いてくるのみ。条件が悪く快適さに欠ける。

知らない間に船はポロス島(写真97)に接近している 。新しい寄港地に近づくと、のんきに昼寝などしておれない。再び、展望デッキに出て周りの風景を眺める。ポロス島も実に美しい。ポロス島の丘一面に白い家やオレンジ色の屋根が広がり(写真98)、どこを見ても美しい風景が展開する。こういう景色に出会うと嬉しくなる。

ポロス島は東西に約10km、人口約4500人程度の小さな島で、サロニコス諸島の中ではペロポネソス半島に最も近い場所にある。クルーズ船は狭い海峡を通って島の中心「ポロス・タウン」に入港する。ポロス・タウンには大小様々なヨット、帆船(写真99)、クルーズ船、高速船等が停泊しており、港周辺はすごい賑わいをみせている。

ポロス島滞在時間はわずか40分であるが、ほとんどの乗客が下船して短いポロス島観光をする。乗客の中には下船せずに、展望デッキで周りの美しい風景を楽しむカップル(写真100)もいる。これもいい。しかし、忙しい日本人、今度いつ来れるか分からない(恐らく来ないであろう…)よって、出来る限り見て回る。添乗員さんの勧めで丘の上にある「時計台」(写真101)に上がる。

港から10分も坂を登れば時計台に着く。ここからの眺め(写真102)は絶景である。実に穏やかな海、まるで巨大な湖のよう。遠くにペロポネソス半島が、真下に我々のクルーズ船が見える。美しい風景に出会い、とても幸せなのであるが、とにかく暑い。汗が流れ落ちる。ポロス島の丘の斜面にびっしりと建ち並んだ家屋の白い壁とオレンジ色の屋根、青い空、緑のオリーブや松の木、強烈な太陽の下で目がくらみそう。

午後3時頃ポロス島を出航し、最後の寄港地「エギナ島」に向かう。乗客の皆さん、そろそろお疲れの様子。会話も少なくなり、再びお昼寝タイムである。1人エーゲ海を眺める金髪の美女(熟女?)(写真103)がいる。「Where are you from?」と声をかければ人生が変わる?

エギナ島まで約1時間のクルーズ。午後の強烈な太陽が海面を照らす。頭の中を空っぽにしてひたすら海を眺める。しかし、暑い。エアコンのない1日クルーズは結構疲れる。豪華客船であれば自分の客室に帰ってきて、シャワーを浴びてベッドで一休みが出来る。次回は「豪華客船によるエーゲ海クルーズ」にしよう。そして、見知らぬ美女に声をかけ……。私の夢と想像力は限りなく広がる。

最後の寄港地「エギナ島」が見えてきた。エギナ島はピレウス港から約30kmの近い場所にあり、人口も約14000人と多く、街は活気にあふれている。クルーズ船はエギナ・タウンの港(写真104)に到着。エギナ島滞在時間は約100分。エギナ・タウンのはずれには海水浴ができる「コロナ・ビーチ」(写真105)がある。

見知らぬ寄港地に立ち寄る場合はバスにより現地ツアーに参加するのがいい。効率よく見所を回ってくれる。我々は「アフェア神殿見学ツアー」に参加する。「アフェア神殿」(写真106)は紀元前6世紀末から紀元前5世紀にかけて建てられたもので、32本あった石柱のうち、24本が現存している。素材は大理石ではなく、エギナ島で取れる石灰岩。エギナ島は古代ギリシャ時代にはポリス(都市国家)として栄え、アテネとはライバル関係にあったほど巨大な勢力を誇示していたという。アフェア神殿はアテネのパルテノン神殿よりも前に建造された。

アフェア神殿見学のあと、途中で立派な修道院「聖ネクタリウ修道院」(写真107)に立ち寄る。100分間の滞在時間はいかにも短い。港周辺の土産物屋でエギナ島の特産品である「ピスタチオ」「アーモンド」等を購入して船にもどる。

夕方6時、エギナ島を出航し一路ピレウス港に向かう。ピレウスまで約1時間半。太陽が西に沈みかけると同時に暑さが和らぎ、涼しい風が吹いてくる。再び展望デッキ(写真108)に人が集まってくる。エーゲ海に沈む夕陽(写真109)を眺めながら、ギリシャ世界遺産紀行を振り返る。

ギリシャの物価高は想像以上である。田舎のドライブインでカフェラテが3ユーロ(約480円)、ド−ナツが2ユーロ(約320円)サンドイッチが3.5ユーロ(約560円)等(ただし、1ユーロ=160円換算、2008年8月下旬)ヨーロッパの田舎として物価安だったギリシャは昔の話で、ユーロに加入してから急激に物価高になったという。それでいて、労働者の賃金はあまり上がっていないとのこと。庶民の生活は苦しい。

ギリシャには農業と観光以外にめぼしい産業がない。ギリシャの車はすべて輸入車で、国産車は1台もない。つまり、自分の国で自動車を作る力がないのである。ギリシャの第1の産業は「観光」で、古代の遺産とエーゲ海だけで今を生きるには限界がある。よって、若者の就職は厳しい。大学卒業生は英語は当然として第2外国語の流暢さが就職のポイントとなるという。自動車や電気製品の輸出で戦後成長してきた日本とは対照的である。自分の国にしっかりした製造業があるということは素晴らしいことである。ギリシャの過去と今を比較すると、日本の良さが分かる。

 
     
E 一般情報
 
―ギリシャの観光地―

◎ ギリシャ政府観光局
http://www.visitgreece.jp/
ギリシャ政府観光局オフィシャルサイト(日本語)

◎外務省:ギリシャ共和国(各国・地域情報)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/greece/index.html
日本の外務省のオフィシャルサイト

―ギリシャの世界遺産―

◎ NHK世界遺産の旅(世界遺産ライブラリー)
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/library/index.html
アテネのアクロポリス、デルフィの考古遺跡、ミケーネの考古遺跡、メテオラ、等の簡潔な説明が載っている。

◎ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/
「ギリシャの世界遺産」を記事検索すると、ギリシャの世界遺産についての詳しい説明が見れる。

―エーゲ海クルーズ―

◎ Hellenic Seaways
http://www.hellenicseaways.gr/index.asp?a_id=209
アテネ郊外のピレウス港、ラフィーナ港からエーゲ海の島々を結ぶ高速船&フェリー会社のサイト。スケジュールの検索、オンラインでの予約もできる。

◎ Loiuse Cruise
http://www.louiscruises.com/
エーゲ海クルーズを運航している会社。3日間クルーズから7日間クルーズまで、色々な種類のクルーズがある。

◎ Golden Star Cruises
http://www.goldenstarcruises.com/
同じくエーゲ海クルーズの会社。3日間クルーズと4日間クルーズを運航している。

                                        (2008年11月 掲載)