港町イテアで昼食をとった後、バスで大移動(約210km)し、オリンピアへ向かう。途中、コリンティアコス湾に面した絵のように美しい小さなビーチがいくつも現れ、妻は車窓からの眺めに感動しまくっていた。しかし、娘と私は別の席で熟睡。
妻曰く「あんなに綺麗な景色を見ないなんて、一生後悔するわよ」
私曰く「見てないんだから、後悔のしようがない」
夕方、オリンピアのホテル「オリンピア・パレス」(写真61)に到着。オリンピアはペロポネソス半島の西部、イオニア海に近い場所にあり、スポーツの祭典「オリンピック」の発祥の地である。現代の華やかなオリンピックのイメージと、今のオリンピアの町とのギャップは大きい。オリンピアは緑多い山あいにある人口1500人ほどの小さな町である。ギリシャにしては珍しく緑が多く、美しい風景(写真62)が広がる。
夕食まで時間があるので、家族でオリンピアのメインストリート(写真63)を散歩する。この通りの両側に沢山のショップ・レストランが並んでいる。しかし、20分も歩けば通り抜けてしまうくらい小さな町である。妻と私はカフェテリアでティータイムにし、娘は一人で何処かへ行く。若者は好奇心でいっぱいである。パレスホテルのレストランでのビュッフェの夕食を済ませ早めに寝る。
ギリシャ旅行5日目の朝。時差も完全に無くなり旅行生活にもリズムが出来てくる。早速、レストランに行く。朝食(写真64)はアメリカンのビュッフェで種類が多い。朝食後、早くも朝7時45分、ホテルを出発し、歩いてオリンピアの遺跡へ行く。朝一番の入場である。夏のギリシャでも朝は涼しく、すがすがしい。
オリンピアの遺跡の近くにはクラデオス川が流れ、周辺には緑が多い。神話によれば、この地は古くは「聖なる森アルティスの礼拝地」として、その後は「ゼウスの聖なる巡礼地」として栄えたという。
古代オリンピックはゼウスを祀る奉納試合として4年に一度行われた。驚くべき事は、紀元前776年からローマ時代の393年まで、約1200年にわたって一度も中止されなかったことである。
オリンピア遺跡の中心となるものがゼウス神殿(写真65)で、紀元前470年〜紀元前456年に完成。現在、わずかに柱1本を残して廃墟となっているが、長さ64m、幅27m、ドリア式の柱の高さ10m、アテネのパルテノン神殿に匹敵する壮大な神殿だったという。地震で倒れた柱の一部がそのままになっている。
ゼウス神殿に並列して小柄なヘラ神殿(写真66)がある。ヘラ神殿はゼウスの妻ヘラを祀ったもので、紀元前7世紀(ゼウス神殿より早い)に建造されたドリア様式の神殿である。正面と後面に各6本、側面に16本の円柱が立っていたという。ヘラ神殿の前に石で囲まれた小さな場所(写真67)がある。ここはオリンピックの「聖火の場所」。近代オリンピックの聖火もこの場所で点火される。2008年3月24日、北京オリンピックの聖火がここで点火された。
古代オリンピック競技の内容は「短距離走」「格闘技」「レスリング」「円盤投げ」「槍投げ」「競馬」「戦車競争」など。出場者は出身ポリス(都市国家)の名誉をかけて闘い、優勝者は故郷に凱旋したという。現代と同じだ。
広いスタジアム(写真68)に入る。直線距離で192mのコースを持つ競技場(写真69)で、クロニオン山麓に沿って観客席が設けられ、3万人を収容。今もなおスタート・ラインの石板を見ることができる。家族3人でスタートラインに並び、よーいドン!誰もいないスタジアムを娘は駆け抜け、妻と私はトボトボと走る。実際に走ってみると192mの距離は長い。ひと汗かいてしまった。
キリスト教の国教化で知られるテオドシウス1世が異教徒を禁じたため、オリンピア祭は終了。さらに、426年の異教徒の神殿破壊令によってオリンピア聖域は破壊され、6世紀中頃の大地震により地中に埋没した。あー無惨!(発掘は1875年)
2時間ほどオリンピアの遺跡を見学した後、バスでペロポネソス半島の山岳地帯を越えてミケーネ(距離約230km)へ向かう。途中、ミケーネに近い場所で昼食。立派なレストラン(写真70)に驚く。レストラン横にある白亜の柱列(写真71)は観光客向けに神殿をイメージしたオブジェなのだろうか?ギリシャのイメージにぴったりの演出ですごくいい。昼頃になると夏の太陽が強烈に照りだし、まぶしくてしょうがない。サングラスが必携。遠くにミケーネ遺跡が眠るイリアス山、ザラ山が見える。
このレストランの名前は「コリゼラス(KOLIZERAS)」。どうやら、ミケーネ遺跡に来る観光客専用のレストランのようである。広いレストランの店内は団体客でかなり埋まっている。他の日本人団体ツアー客も食事をしていた。前菜は「スタッフドトマト」(写真72)大きなトマトの中に米などを詰めて煮たものでギリシャ料理の1つ。メインはギリシャの名物料理「スティファド」(写真73)スティファドは肉をたっぷりの玉ねぎで煮込んだギリシャ風シチューで日本人の口によく合う。付け合わせはポテトとレタス。ギリシャの国旗が刺してあるデザート(写真74)はアップルパイとアイスクリーム。とてもおいしかった。ギリシャ国旗の青は海を、白は空を、十字はギリシャ正教への信仰を表すという。
ミケーネ遺跡訪問の前に「トロイ戦争」と「シュリーマン」の勉強をする必要がある。トロイ戦争は紀元前13世紀後半、スパルタの絶世の美女である王妃ヘレネがトロイの王パリスに誘惑されたのが原因。ミケーネ王アガメムノンは弟であるスパルタ王のために総大将としてギリシャの大軍を率いてトロイに攻め込む。そして、10年の歳月をかけてトロイを陥落させる。
トロイ戦争にまつわる壮大な歴史ロマンは「ホメロスの叙事詩」と共に、後生に語り伝えられた。この詩の英雄たちに憧れ、神話の世界ではなく事実だと信じたシュリーマンは私費を投じて発掘調査をし、1876年ミケーネ遺跡(写真75)を発見した。ホメロスの詩に伝えられた伝説は、円形墓地A(写真76)の発見によって史実としてよみがえった。
しかし、「幼少の頃にホメロスの叙事詩に感動して、トロイ発掘を志した」というのは功名心の強いシュリーマンの創作であることが近年の研究で分かってきた。また、「ホメロスの神話ではなくトロイは実在する」というシュリーマンのトロイ実在説も当時既に知られており、発掘調査も行われていたという。実際の発掘においてはオリンピア調査隊も協力した。シュリーマンをあまり英雄視するのも疑問?
王宮跡(写真77)は丘の頂きにあり、アルゴス平野が一望できる。ミケーネ遺跡とは少し離れた場所に「アトレウスの宝庫」または「アガメムノンの墓」(写真78)がある。紀元前1250年頃の建造で、通路の長さは36m、幅6m、墓の中は上部にいくにつれて狭まっている円錐形になっている。トロイ戦争の英雄「アガメムノン」を想像する。
ミケーネ遺跡見学の後、コリントス運河をバスで渡ってアテネへ向かう。コリントスはギリシャ本土とペロポネソス半島のつなぎ目にあたり、東側にサロニコス湾、西側にコリンティアコス湾が広がる。ドライブインでバスを降り、歩いて運河にかかる橋を渡る。コリントス運河は、高さ80m、幅23m、長さ6343m。橋の上から運河(写真79)をのぞいてみると、結構迫力がある。トイレ休憩の後、バスは一路アテネへ向かう。明日はいよいよ「エーゲ海クルーズ」である。
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